2008年2月29日金曜日

医療費

一番ビックリしたのは医療費。
NICUでの治療は 高額医療となることは知っていたけど
計算書を見て 目が点になってしまった。

ありがたいことに 『未熟児養育医療』 なる制度があった。
健康保険法で対象となる医療が給付の範囲となるけども
診察、医学的処置、治療などの給付が受けられると言うもの。


ネットで色々検索したりしたけど 具体的な数字が出てこないし
医療費って 結構透明であって 分からない人には不透明過ぎる。

1回目の会計は、半月ほどの入院で ○○○万円・・・
2回目には 前月の1.5倍となっていた。。。

まぁ チビちゃんの治療なんで お金には換えられないんだけど
現実問題として 憂鬱にも不安にもなる部分だもん。

申請をしたため 保険対象外のものを支払うだけで済んだ。
していなかったらと思うと・・・・・
(|||_|||)背筋が凍るほどの金額で 借金地獄となっていたかも。。。
それでも 保険対象外の金額も 数万円だから
我が家の家計は大ピンチなのです。。。
その他にも 病院への交通費があるし 何かと出費がかさんでしまう。

我が家の家計のためにも 
チビちゃんには 早く元気になってもらわなきゃ(笑)

ママの毎日

切迫早産だったため 周産期センターのある病院へ
救急車で搬送されることになったママ。

家からだと 車で高速に乗り 約1時間の道のり。
電車でも 駅まで自転車、乗り換え2回で これも約1時間。

かなり遠いところにある病院でした。

交通費もバカになりません!
しかし そんな事は言ってられなかった。

チビちゃんの時間が短いかもしれないと言われた時から
毎日のママの病院通いは始まった。

平日は 朝、家を出て 電車に乗って病院へ。
夕方 一旦帰宅し お姉ちゃんたちの晩ご飯の用意や家事を済ませ
(チビちゃんのお姉ちゃんたちはかなり年の離れた姉なので
 かなり助けてもらえたし安心して病院に行くこともできたんだよね)
夜、今度は車で病院へ。
日付が変わって暫くしてから 帰宅し 寝る。

土日は 朝から病院へ行き
夕方に帰宅 夜は家で 体を休めると言った生活を繰り返した。

チビちゃんの容体が安定してからは
ママは仕事に復帰した。
そうなると 今までのようにずっと病院にはいられないので

月・水・金をフルで働き 家事を済ませ 夜 車で病院へ
火・木は午前中仕事をし 昼から電車に乗って病院へ行き
少しゆっくりめに帰宅し 慌ててご飯の用意をして
夜は家でゆっくりすると言ったリズムになった。

ゆっくりすると言っても やり残した家事に追われてばかり。
少しでも時間が出来たら 写真の整理やチビちゃんの服を作ったり
ブログを更新したりと バタバタしてしまう。


今のママの夢は
       「24時間爆睡したい」 です(笑)

チビちゃんの手

ほぼ実物大のチビちゃんの手
















  ↓こんなに大きくなりました。

抜管

個室に移ってから 3週間ほどたったある日
Dr.から呼吸器の離脱をトライしてみようとの話しがあった。
それに加えて 呼吸器が外れ採血して問題のあった数値が
改善されてるようであれば 次のステップを考えてみましょう。
と。


1ヵ月あるかどうか分からないと言われたのに
この日まで頑張ってきたチビちゃんの生命力が勝ったのだ。

問題は常に山積み状態なんだけど
大きな山を越した事には間違いなかった。

嬉しさでいっぱいなはずのママだったけど
心の中では 常に最悪の状況を想定し毎日を過ごしてたんで
このクセが抜け切れず 両手を挙げて喜ぶ感じにはなれなかった。。。


そして 64日目、抜管の日となった。

もともと自発呼吸があったこともあって
再挿管されることもなく 無事呼吸器を外す事ができた。
本当に本当に 大きな一歩です。

この日、チビちゃんが生まれてから 
ママは初めてチビちゃんの泣き声を耳にすることができました。

申し訳なさそうに小さなかすれた声。

生まれたときから 口元には管が入り
固定するためのテープが貼られていたため
チビちゃんの何もついてない顔を見たのも初めてでした。

ものすごく嬉しかった。
チビちゃんの声は聞くこともないと思っていたママは
絶対 この日を忘れられない。忘れない。


2008年2月27日水曜日

ターミナルケア

チビちゃんの頭は どんどん大きくなっていった。
否が応でもなく 水頭症なんだと言う事実は目の前に突きつけられた。

ただ 赤ちゃんの頭蓋骨はくっついていないので
圧が加わっても 頭を広げて圧を逃がしているので
頭痛のような痛みは おそらくないだろうと言う話しが唯一の救いだった。

時々 目を開けてくれたり 手足が動くようになってきたある日、
予てから希望していた個室に移動できることになった。

NICUでいると 両親以外の面会ができず
チビちゃんの時間が残り少ないのなら
家族で過ごしたいと思ったからだ。
それは 諦めではなく 一緒に過ごす事で
チビちゃんに何かを感じてもらい 頑張ってもらいたかった。


個室に移ってからのチビちゃんは
以前と比べようがないぐらい手や足を動かし
起きている時間も長くなっていった。
寝ながら笑ったり 呼吸器がついているため声は出ないが
明らかに泣き顔だと分かる顔をしたり
嫌なことをされると 嫌そうな顔やしかめっ面をしたりと
どんどん表情豊かになっていった。

ミルクの量も 最初の頃に比べるとかなり増え
少しずつ少しずつ顔色もマシになり
お肉もついてくるようになった。

Dr.も看護士さんも 驚いていた。
「いい意味で予想を外してくれました」
と 言っていた。

個室にいる間 抱っこをしたり お風呂に入れたり
オムツを換えたりとやっと子育てらしいことが
たくさんできるようになった。

チビちゃんの体は 病院の肌着では大きすぎたために
長肌着を何枚も作っては着せ 汚れては洗濯し
毎日毎日 ゆうちゃんに会いに行った。

















朝から夕方まで時間が許す限り
チビちゃんのそばにいて チビちゃんに話しかけ
「頑張れ、頑張れ」と祈り続けた。


最近のチビちゃん

この頃のチビちゃんは 鎮静剤の投与を中止したのにも関わらず
動きがあまりなかった。
唯一 時々 目を開けてくれてた。
24時間のうち23時間以上は眠っていて 
覚醒しているのは1時間満たないような感じだった。

生まれてからの1、2週間は水分は点滴で補給し
絶食だったと思う。
やっとミルクをあげることができるとなっても
最初は ミルクを綿棒に浸したものを口に塗りつけ
わずか小さじ1杯弱ほどのミルクを
鼻からのチューブで直接、胃に送っていた。
それでも 消化できずにいると 量を減らされていた。
たったこれだけの量のミルクでも 
チビちゃんの胃にはすごい負担がかかるんだと思った。

点滴しっぱなしということもあって また感染の兆候が出たり
むくみがなかか取れなかったり
少し力を加えただけで内出血してしまったりしていた。

栄養が少ないために 髪の毛は全て抜けスキンヘッド状態。
骨と皮しかないようなやせ細った体になり
手足の筋肉も固くなり
体も動かせないために 床ずれもできかけていた。
首のしわの間が炎症をおこし ただれてしまい
薬を塗ってもなかなか治らずにいた。


辛いだろうな、しんどいだろうなと見るたびに思ったけど
どんな姿になろうとも ママはチビちゃんを見続けようと思った。
見るのが辛いと一度も思ったことはなかった。

決心

1ヵ月あるかどうか
ただ赤ちゃんの生命力だけは 誰にも分からない
と言われた日から 
チビちゃんの容体は 良くも悪くもならずのまま時間だけが過ぎた。

チビちゃんは小さな体で一生懸命頑張っていた。

ママは どうしても「もう 頑張らなくてもいいからね」とは言えず
どんなにチビちゃんに酷なことかは分かっていたけど
「頑張れ、頑張れ」としか言えなかった。

チビちゃんのことを思うだけで 涙が溢れた。

チビちゃんは何も悪いことしてないのにごめんね。。。
痛い思いをさせてごめんね。
元気に産んであげられなくてごめんね。
保育器の前で チビちゃんに何度も謝ってた。


時間が過ぎていく中で ママはこう考えた。

チビちゃんの命の時間は チビちゃんが決めるはず。
だから チビちゃんが頑張ってる限り ママもあきらめない。
そして 今を可愛がろう

告知

チビちゃんが生まれてから 1ヵ月を目前に控えたある日、
Dr.から話しがあった。

あれから チビちゃんの容体は安定していたので
気が抜けていたところに緊張が走った。


 脳室内出血後から脳室が拡大し水頭症
 動脈管開存症(PDA)
 低栄養のため多臓器不全
    ・免疫機能の低下
    ・止血機能の低下
    ・血小板の低下・貧血
    ・むくみ
    ・尿量の低下

 もし回復したとしても 最重症度の後遺症の可能性があり
 寝たきり、お父さんお母さんと言うことも分からないだろうと告げられた。

またもや 頭の中真っ白で 何も考える事ができなかった。

更に
現段階では 外科的治療が不可能であり
1週間単位で今後の方針を決めていきたいと言われ
『看取りの医療』の説明もあった。


どうやら チビちゃんの命の時間は少ないらしい

それだけが理解できた。

感染症

主治医のDr.から告げられたのは・・・

感染症とそれに伴う敗血症・髄膜炎
少量の脳室内出血
動脈管開存症(PDA)

だった。

あまりの衝撃?に 頭の中が真っ白になり
Dr.の話の単語だけが頭にインプットされたような感じ。

     感染、髄膜炎、脳、出血、命、危険。。。。

回復したとしても 何らかの後遺症が残る可能性がある
とも告げられた。。。

頭の中は、整理がつかず 他人事のように聞こえた。

それからの数日は 保育器の前から離れられなくなり
チビちゃんのそばにずっといたっけ。

毎日、毎日 次から次へと説明があり 
医療のことなんて無知なママは 選択することも考えられず
それ以外治療がないのならと 何枚も同意書を書いた。


抗生剤を投与するも なかなか菌がなくならず
その菌が全身に回っているとのことで 交換輸血をすることに。
更に交換輸血の途中で 脳室内出血が広がったために中止になった。

そして 投与する薬がそれぞれ別の病気に悪循環に働いていた。

チビちゃんの体はむくみでパンパンに膨れ上がり
きっと悲鳴をあげているに違いないと思った。


数日後 やっと感染症の原因の菌が判明した。

B群溶血性連鎖球菌(GBS感染症)

ようやく この菌に効く抗生剤を投与し始めたんだけど
チビちゃん容体は 悪くもよくもならず一定のところを保っていた。

極低出生体重児

27週と6日目に破水
28週と2日目に陣痛が始まるものの緊急帝王切開
切迫早産となってしまった。。。


まな板の上の鯉とは この事を言うんだな~
とオペ室で何故か冷静なママでした。

そして 1064gの極低出生体重児 チビちゃんが生まれたのです。
待望の男の子♪

未熟児なら聞きなれてるんだけど
今は体重別に呼び名が別れているそうな。。。 
ちなみに…
2500g未満 低出生体重児(Low birth weight infant)
1500g未満 極低出生体重児(Very low birth weight infant)
1000g未満 超低出生体重児(Extremely low birth weight infant)


チビちゃんに会えたのは翌日。
お腹のキズの痛みと子宮収縮の痛みを引きずりながら
新生児集中治療室(NICU)まで歩いた。

保育器の中にいるわが子を見て 
呼吸器や点滴がつけられかわいそうなことをしてしまったと
もっと気をつければよかったと申し訳なささと
あまりの小ささにビックリしながらも可愛いと思い喜びでいっぱいになったママ。


はじめまして
   チビちゃん
 よろしくね


この時は まだチビちゃんの病気を知らずにいたママでした。